「吃音を治す」から「吃音とどう生きるか」へ
戦後になっても何とか治したいという吃音者の思いは変わらなかった。
同じ境遇で苦労した方がある人を助けたいという思いで民間吃音矯正所が立ち上がる。画像/故田辺一鶴
よく知られるのが「医学博士・梅田薫」による「東京正生学院」です。合宿と通院の二種で矯正練習がありました(体験者です)が現在学院はありません。当時を知る人は全国に点在しています。そこで数週間の集中訓練などで知り合った仲間で一緒に新しく吃音矯正に取り組もうとする動きがあり、その中で「講談のリズムで吃音を治そう」と考えた仲間と東京の講談師:田辺一鶴の講談教室に来ていた吃音者が1966年に「言友会」を発足した。
当初は治すための努力をする集まりでしたがいくらやっても治らない人がほとんどで少しずつ方向性が変化していき、発足してから10年目の1976年「吃音者宣言」が発表された。
吃音者宣言 全文
私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。「どもりは悪いもの、劣ったものという」社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治す試みに人生を掛けた。
しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかかわらず、充分にむくわれることはなかった。それどころか、自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を
生み、深い悩みの淵へ落ち込んで行った。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。その一方、どもりながら明るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。そして、言友会10年の活動の中からも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。
どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。その第一歩として、私たちは自らが吃音者であることを、また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した。
どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことの辛さを知っている。すべての人が尊敬され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために生かしていきたい。
吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たちの叫びであり、願いであり、自らへの決意である。私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。
全国言友会連絡協議会 昭和51(1976)年5月1日
言友会創立10周年記念大会にて採択
※言友会全国大会に田辺一鶴師匠はゲスト。
私も参加しました。
©tomonokai2023