《心の重みを軽くしよう》
近代では「吃音」という名前は既にありましたが、関係がない人には認識が薄くドモリという差別用語が多いようです。吃るは症状で動詞です。吃音を持った方にすれば、あなたドモリ??かと言われたら吃音者は「いやな過去・現在」が思い出され不快感があることでしょう。こんな風に言われると悪意がなくても相手を遠ざけます。「きつおんがあるのですか?」と言われても少し安心しますね。話し終わるまで聴いていただくと誰でも嬉しいものです。
ほかの障害については詳しくないのですが、以上のように、吃音者が抱いている思いは当事者間では理解できると思います。外面からみて想像がつく障害(例:足の不自由な方を見て何でそんな歩き方するの?など聞く人はいません)。子供時代には真似されたことがあるでしょう(大人でも僅かですが真似する人がいます)。苦しい・悔しいと思ってきたでしょう。顔で笑って心で泣いていたかも知れませんね。
話を聴いてみないと理解できない問題があります。特に吃音をもっている人は吃音問題は吃音者でなければ分からない!と思っているでしょう。知人はおろか家族でも解ってくれないという話は少なくはありません。私たち吃音者はそれを理解してると思います。
悩んでいないで話してください、吃音者は悪くない!